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環境・社会貢献活動

5月27日、東日本大震災被災地支援活動レポート

掲載:2012年6月23日

5/27(日)

未曾有の大震災から約1年3ヶ月。私たちは震災で最も大きな被害を受けた地域の1つ、南三陸町に向かいました。目的は南三陸町でのボランティア。

今回はご応募いただいた方々、IRTジャパンスタッフ、合わせて8名で現地入りしました。

日時 2012年5月27日(日)
参加者 佐々木亨、嶋倉成利、宇野信子、井川恭子、斎藤由起子(以上IRTジャパン会員)、古田智鶴子、阿部ふみか、佐藤尚子(斎藤さんの友人)*順不同、敬称略
訪問先 宮城県本吉郡南三陸町ホタテキャンドル製作者支援(歌津漁協女性部)
活動内容
  • マリン合羽(海に入って作業する胸当て付のゴムの長ズボンとジャケット)の男性用3、女性用5、合計8セットの提供し、合計で102,400円を義援金から使用させていただきました。ありがとうございました。
  • ホタテキャンドル製作のお手伝い
協力 支援

マリン合羽の支援

当初は漁港でホタテ加工工場などでの活動予定でしたが、工場の本格的稼動にもう少し日数が必要とのことで、急遽「ホタテキャンドル」の製作をお手伝いすることになりました。

この「ホタテキャンドル」。被災された方々が中心となって行っている震災復興活動の1つです。
IRTジャパンの大会会場だけではなく、今や様々なメディアで取り上げられており、ご存知の方も多いはず。

「復興のあかり」と銘打って漁協の女性が中心となって製作に取り掛かっていらっしゃいます。
(代表の三浦さんについては、第4回 IRTジャパン被災地支援活動報告をご覧ください)

ホタテキャンドルの作製

私たちが目にするホタテキャンドル。製作は下記の工程で進んでいきます。

ホタテ貝の山

①ホタテ貝の山の中から、直径12cm程度・大きな破損がないものを選定。
②選定した貝を洗浄・乾燥

貝の外縁をニッパーで整える作業

③貝の外縁をニッパーで整える

外縁に糊を塗ります

④外縁に飾り糊を塗り、乾燥(これは使用する人が縁で怪我をしないため、という意味もあります)

ラメで飾り付けをしています

⑤着色したロウを貝に流し込み、ラメで飾りつけ。糸を差込こみ、乾燥

飾り付け

⑥装飾用の小さな部品を付け、乾燥

パッケージング

⑦パッケージング

ざっと挙げるとこの7工程ですが、装飾の小さな部品やメッセージカード、折鶴、パッケージング用の袋を予め用意しなければなりません。もちろんその他にもやらなければならないことは沢山あります。

製作作業の1つ1つが細かい手作業です。
初めは談笑しながら手を動かしていた私たちでしたが、徐々に無言に…。
(三浦さんが事前に準備してくださった貝を使用していたので)③④⑤の工程を黙々と進めていると、あっという間にお昼の時間になってしまいました。

午後は⑤⑥⑦の工程を進めていきました。

見本を参考に各自のセンスで飾り付けを行いましたが、これが思っていた以上にすごく難しい!

全体的な色の配置・部品の選定…迷っている時間はありません。なにせ相手は溶けたロウなので、素早く作業を行わないと固まってしまうんです。

私たちが悪戦苦闘していると、三浦さんから素早いダメ出し!笑いが絶えない中、午後の作業は進んでいきました。

私自身、何気なく手にしていたホタテキャンドルですが、作業の細かさや使用した人への心遣いの数々。本当に想像以上に繊細なものでした。

三浦さんとの会話の中で

作業の合間に三浦さんから多くのお話を伺うことができましたが、その笑顔とは裏腹に筆舌しがたいほどのご苦労をされていらっしゃいました。お話させていただく中で私は幾度となく言葉に詰まってしまいました。

三浦さんがスタートさせたホタテキャンドル製作の活動が、同じコミュニティの女性たちの気持ちを復興に向けて前向きなもの変化させていきました。一人の女性が起こした活動が、周りの笑顔を生んでいく…とても凄いことだと思います。
落ち込んでいるだけではいけない…と、悲しみに明け暮れるご自分を奮い立たせていった三浦さんのその気持ちは、誰も真似することのできない強さと優しさを兼ね備えていらっしゃるのではないかと思います。

当初、ホタテキャンドルは販売経路が無く困窮していたそうです。ですが偶然の出会いが重なり、今では各メディアで取り上げられ、全国各地から発注がかかるほど。
これも三浦さんの素敵な人柄が手繰り寄せたものなのかな?と感じました。

被災地の今

突然の震災は何の予兆も無いまま、住む場所・働く場所・かけがえのない人の命を奪っていきました。

防災拠点

帰路、南三陸町の防災拠点を通りかかりました。あの日ここから発し続けられた「天使の声」。数百メートル先にある堤防を乗り越え迫りくる津波を、一体どんな思いで見つめていたのでしょうか。

今はだいぶ瓦礫が撤去された南三陸町。かろうじて全壊を免れ骨組みだけになってしまった建物が数棟と、建物の土台のみが残っている街並みは、あの日の出来事が現実であることを無言のまま私たちに伝えていました。

志津川の海

志津川の海は非常に穏やかで、透明な海水は泳いでいる魚が見えるほど。しかしその傍らには、無残にも破壊され波打ち際に積みあがっているコンクリートの消波堤。不思議な光景ですが、これもまた現実です。

現在、ほんの少しずつですがワカメの養殖が再開されています。以前のように水産業が盛んな街に戻るため、被災地では手探りの日々が続いています。

まとめ

震災から1年以上が過ぎ、被災地に住まない私たちは「がんばろう東北」「がんばろう日本」をいうスローガンを目にしたり、節電などでちょっとした不自由を感じないと、震災によって引き起こされた惨劇を忘れてしまいがちです。

しかし被災された方々は私たちには計り知ることのできない心の傷を抱えてたまま、今もなお不自由な生活を強いられています。

― 今、私たちに出来ることは何なのか? ―

人ひとりが行う支援はどんなに小さくても構わないと思います。その小さな支援がたくさん集まって、大きな支援が可能になり、支援は被災地が復興に向かう追い風となります

私たちIRTジャパンは、本年は南三陸町でホタテキャンドルを製作・販売している女性達を中心に支援を続けていく予定です。今後の予定につきましては決まり次第ホームページにてお知らせ致します。

皆様の温かいご支援で、復興の追い風を南三陸町へ届けましょう。

また、先日よりお知らせしております「希望のホタテ」も、引き続きオーナーになってくださる方を募集しております。1回目の締め切りが6/30と迫っておりますので、ご協力のほど宜しくお願いいたします。
(詳しくは「希望のホタテ」オーナー制度のご案内を参照ください)

(文:井川恭子)