その他の情報

川谷さん、中国地震援助活動レポート

掲載:2008年09月15日 

2008年5月12日、中国・四川省を震源地とするマグニチュード7.8の大地震が発生。多数の犠牲者が予想される大惨事となった。

地震後すぐに中国に対して日本政府、アメリカ政府は緊急支援の申し出をした。それに対し中国側は物資、資金支援に対しては歓迎するも救援チーム派遣などの人的支援は拒否をした。総務省消防庁は既に準備を整えて14日に救助隊を派遣する予定だったが、中国側の受け入れ態勢不備のため、14日の出発を断念していた。 全国から駆けつけた救助隊員は前日から成田で待機していたが、14日に帰された。

 

しかし15日の昼、内容は一変し中国政府から派遣要請があり、救援隊には再度召集がかけられ、国際緊急援助隊【消防、警察、海上保安庁、 国際協力機構(JICA)で編成する】(約30人)が午後6時30分、JAL789便で成田空港を出発。 四川大地震で、中国が外国の救援チームを受け入れるのは日本が最初となった。

16日午前には成都に入る。16日にも約30人が向かい、総勢60人規模となる。救助犬3匹も参加する。地震後4日経っての救助には悲惨な状況が予想された。(この時点で死者6万人以上)

そしてJICAで編成する第一次救援隊の中にラケットボールプレーヤーとして活躍をする川谷陽子さんの姿もあった。川谷陽子さんは 愛知医科大学高度救命救急センターに勤務する傍ら、各地で行われる救急看護指導の指導者としても活躍をする。また大変多忙な中でもラケットボールの活動にも力を注ぎ、国際ラケットボール競技団体IRTジャパンの理事も勤める。川谷さんは過去にもジャワ島沖地震、イラク地震等でも活躍をした経歴を持つ。

(写真をクリックすると拡大表示します)

一度は空港より帰宅を強いられるも、24時間経たぬ間の緊急召集によって再度空港に集合。現地対策の打ち合わせに入った。
この度の救援はこれまでに川谷さんが経験した中で最も過酷な状況であることが予想された。
いよいよ命を救うべくして日本からの第一陣が東京国際空港(成田)より特別チャーター便にて被災地へ向けて出発。目的地は山々に囲まれた成都(パンダ生息地で有名)。
到着後すぐに被災現場へ、その驚くべき悲惨さに緊張が走った。今にも崩れそうな建物、瓦礫に埋もれてしまった方々の安否が気になるも二重災害の可能性も十分にある、しかし休む間もなく作業に入りました。
学校と思われる場所に到着、数日が経過したにもかかわらず手つかずの状態。この現場(写真)をよく見ると切なる思いが伝わってくるような気がします。
作業中に何度か余震は続き、二重災害が個々の内心をよぎる場面もありましたが、救援の手を止めずに建物内に入っていきます。
さすがに数日経った現場では、悲劇の割合がほとんどで人命救助とは言いがたいのが事実です。作業に当たった皆が嘆きました。冥福を祈りつつも休まず作業は続きます。
人力だけでは手を付けられない悲惨な光景、何処がどうなっているのかさっぱり検討がつかない様子、救助犬の到着がどれほど待ちどうしいか考える。しかし時間の許す限り手探りで瓦礫を掘り起こしにはいる。
人命救助に至らぬ悲劇の光景を何度も乗り越えながらひたすら瓦礫の山に挑みます。災害の恐ろしさを全身に刻みながら更に前に進みます。
進んでも瓦礫の山は続き、瓦礫に叫んでも人の声は聞こえてきません。 人口の多い大国だけに被災の規模が大きすぎて、まだまだ手つかずの現場が広がっています。
5月16日(金曜日)より被災地で救援活動を行っていた川谷さんをはじめとする救助チームは、中国側と協議の上で現地任務を終了し、5月21日の帰国となりました。(最終的に死者は8万人以上となりました)
川谷さんからのコメント

「予想を遥かに超える瓦礫の山と涙に崩れる被災者の姿が心に焼きついて離れませんでした。 現地の方々の感謝の言葉や皆様からのエールが活動の支えとなりました。 本当にありがとうございました。」


関連記事

外部リンク